文豪語録

明治から昭和くらいまでの文豪たちの名言や名文、格言、迷言、珍言を載せていきます。

文士というものは、筆の上で偽わることのできないのが持って生まれた性根なのだから - 坂口安吾『明日は天気になれ』

芥川賞一風景(2)

 ……文士というものは、筆の上で偽わることのできないのが持って生まれた性根なのだから、各選者の選後評というものを読めば、選考事情はそれで一目瞭然なのである。
 しかるにそれを読んでいながら、なお選考委員会の内容を具体的に報告しろなどという批評家は、文章を読むことを知らない人間だといわざるをえない。
 今期の芥川賞には、森鴎外の小倉滞在中の日記をテーマにした九州在住の作家の作品が当選作の一つとなった。
 ところが、この作品が選考委員会で論議されているうちというもの、小倉日記(こくらにっき)はオグラ日記と発音されていたのである。
 私のような無学者は例外として、芥川賞の選考委員は言葉についてははなはだ深い造詣の持主が多いのである。
 九州の人がきけば小倉をオグラと読みながら造詣もウンチクもあるまいと思うであろうが、早い話が、小倉百人一首というように、実は小さな倉と書いてオグラと読むのが一般的なのである。九州小倉という地名の読み方に歴史的な重要性というようなこともないようだから、偉い先生方がその読み方を知らなかったといってとがめるわけにゆかない。
 むしろ、日本の地名や人名のわずらわしさ、また、そのわずらわしさを生み出している漢字の罪の深さというものを痛感したのであった。

 

坂口安吾『明日は天気になれ』より)

 

 芥川賞一風景(1)

松本清張著『或る「小倉日記」伝』

 『或る「小倉日記」伝』(あるこくらにっきでん)は、松本清張の短編小説。『三田文学』1952年9月号に発表、翌年に第28回芥川賞を受賞した。
 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)在住であった松本清張が、地元を舞台に、森鷗外が軍医として小倉に赴任していた3年間の日記「小倉日記」の行方を探すことに生涯を捧げた人物を主人公として描いた短編小説である。
 それまで朝日新聞西部本社に勤務しながら執筆活動を行っていた清張が、上京後小説家に専念するきっかけとなった作品。

或る「小倉日記」伝 - Wikipedia

坂口安吾のプロフィール

坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。

坂口安吾 - Wikipedia

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