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文豪語録

明治から昭和くらいまでの文豪たちの名言や名文、格言、迷言、珍言を載せていきます。

年賀状はムダだ - 坂口安吾『明日は天気になれ』

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年賀状

 私の住む町の一人の郵便集配人が年賀状は人々が待っているものだからと高熱をおして配達にでて倒れた。愛すべき実在のサンタクロース氏である。

 年賀状はムダだ、虚礼廃止だなどと昔から云われていることであるが、人生にムダや遊びが許されなかったら生きる瀬がありゃしない。正月だのお祭などはそれを楽しく暮す人にとっては大切な生活で決してムダでも虚礼でもない。
 キリスト教国でもない日本人がクリスマスを祝うのはケシカランなぞとヤボなことはいわない方がよい。すべて興隆する民族は清濁合せのむものであり、また清濁合せのみつつある時に興隆しているものである。
 純血種だのユダヤ追放だのと旗ジルシをかかげたドイツや日本は戦争に負けるタイプであった。
 実際上にあらゆる民族をいれ、自由に長所をとりいれたアメリカとロシヤはまさに民族興隆の時で、勝つタイプであった。この二ツの民族が戦ってどちらが勝つかと言えば、先に純血だの異族追放などと言いだした方が負けると私は考える。
 日本人もクリスマスだ、メーデーだとよそのお祭をとりいれて盛大に無邪気にやっているのは、むしろ頼もしい。こういう庶民生活は健全で、むしろ民族興隆の種子を存するものと見てもよい。
 私のように何十年も年賀状一本書いたことがなく、特に新年をたのしむ気持もなく、人からの年賀状を待つ気持なぞも持合せがないというのは、不健全で、決して賀すべきことではない。
 年賀状は人々が待っているからというので高熱をおかして配達にでて倒れたという生き方には民族興隆の健全な庶民生活の裏づけを暗示するものがある。そして、こういう庶民が代表する日本というものは、まだまだこれから生長する民族であろう。法隆寺だの古い伝統などと云ってるのは日本人中の別種族で、日本庶民はまさに十二歳くらいの未来の民族かも知れないと私は思う。私のように年賀状も書かないニヒリズムからは何も生れてくるものはないのである。
 人のお正月に景気を添える一助になるなら筆不精をおしても年賀状は大いに書くべきで、私も来年はそうしてみようかなぞと考えたりしたが、この考えが来年の正月まで持つかどうか怪しいものだ

 

坂口安吾『明日は天気になれ』より)

 

坂口安吾のプロフィール

坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。

坂口安吾 - Wikipedia

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