高原療養所でコンニャクストライキという騒動があった - 坂口安吾『明日は天気になれ』
コンニャク論
先日友人のところへ群馬県下仁田というところから女中がきた。そのとき女中が就職条件として、
「どうかコンニャクだけは食べさせないで下さい」
とたのんだそうである。
下仁田は日本一のコンニャクの名産地だそうで、コンニャクは下仁田と相場がきまったものだそうだ。それで下仁田自身コンニャクを産するばかりでなく、全国からコンニャクの原料が集まり、ここで加工荷造りして、下仁田コンニャクと名を改めて全国へ売りさばかれるのだそうだ。
下仁田はコンニャクのほかにネギも名産地で、全村コンニャクとネギ以外に何もないそうだ。友人宅の女中となった娘は米の代わりにコンニャクを食べる村の生活に絶望し、コンニャクから逃れたい一心で女中になったのだそうである。
しかしまた下仁田周辺は天下名題のコーズ牧場はじめ大牧場地帯で、見はるかす山も平野も牛とコンニャクとネギだというから、そっくりスキヤキ地帯でもある。
二十年ほど昔になるが、高原療養所でコンニャクストライキという騒動があった。食事にコンニャクばかり食べさせるのは怪しからんと、患者がハンストを起したのである。
ところが病院側でコンニャクの栄養分析というものを見せた。コンニャクは殆ど百%カルシュームで、結核患者の栄養食としては至極適当なものであることが諸本の一致して説くところであった。
患者の方はコンニャクのほかにもその他何々の待遇改善要求があったのだが、コンニャクはカルシューム也という一撃によって全的に闘志を失い、もろくも敗北したという戦史があるのである。
つまり患者の方では、コンニャクこそは論より証拠、敵の最大弱点であると一途に思いこんでいたところに敗因があったらしい。かようにコンニャクというものは、見るからに、また見れば見るほどタンゲイすべからざる怪物で、こういうものを食いこなすようにしてしまったのは何物の力であるか、と考えると、人生は不可解の感を深めざるを得ないのである。
古事記を読むと、われわれの祖先は神話の昔からナマコを愛食している。磯の国々から朝廷への税としてナマコをほしたイリコというものを大昔から欠かさず奉っている。
中原中也という夭折した詩人が
「陸のコンニャク海のナマコ」
と呪文を唱えて大そう怖れていたが、私もナマコがどうしても食べられない。しかるに磯の魚貝も数ある中で、神代の昔からナマコを愛食していたわれわれの祖先というのは、無類の食通なのか、悪食なのか、タンゲイすべからざる祖先である。
いかに強力な暴君といえども臣民にコンニャクとナマコを強制することは不可能であろう。しかるに多くの人々はおのずからコンニャクとナマコを食べこなしている。人間はタンゲイすべからざるものである。
(坂口安吾『明日は天気になれ』より)
「端倪(たんげい)すべからざる」とは
端倪すべからざる
読み方:たんげいすべからざる
はじめから終わりまでを安易に推し量るべきでない、推測が及ばない、計り知れないといった意味で用いられる表現。「端倪」は物事のはじめとおわりを意味し、全体を把握・推測することをも意味する表現。
(端倪すべからざるとは - 日本語表現辞典 Weblio辞書)
坂口安吾のプロフィール
坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説や推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。
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