文豪語録

明治から昭和くらいまでの文豪たちの名言や名文、格言、迷言、珍言を載せていきます。

東京に今なおクサリ鎌の術を伝える人がいるそうだから型を見せていただこうと、一昨年訪れた - 坂口安吾『明日は天気になれ』

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神伝夢想流

 東京に今なおクサリ鎌の術を伝える人がいるそうだから型を見せていただこうと、一昨年訪れたことがある。ところが主人は戦災でクサリ鎌を失った由で、
「私はクサリ鎌をやるにはやりますが、元来は杖(じょう)を学んだものです」
「杖と仰有(おっしゃる)と、夢想権之助の?」
「左様です。福岡に夢想権之助の神伝夢想流が今なお伝わっておりまして、自分はそれを学んだものです」
 東京の警視庁で杖を教えている清水隆次という先生であることが分った。
 清水さんは昭和五年の天覧試合だかに杖術の型を披露するため、神伝夢想流の先生にともなわれその高弟として上京したのだそうだ。そのとき杖の威力が警視庁の認めるところとなり、清水さんが乞われて東京に止って術を伝えて今日に至っている由。
 むかし共産党その他の暴動対策に警視庁の新撰組という棒部隊が出動したが、これぞ清水さんが術を伝えた産物で、あの棒が神伝夢想流の杖だそうだ。
 清水さんから杖の型を見せていただいて、一時はただ呆然とするほど驚いたものである。
 生涯不敗を誇った宮本武蔵夢想権之助の杖にだけは手ひどい目にあっている。ヒイキ目に見て引き分け程度の勝負であったらしいが、武蔵という人は後世の剣客と違って、剣の他流だけを相手にした人ではなく、槍でもクサリ鎌でもあらゆる武器も相手と見て剣を学んだ人だ。そういう武蔵だから、ともかく杖と一応勝負に持ってゆけたが、一般の剣客ではとうてい問題にならないだろうと私は思った。
 剣というものはツカと刃がきまっていて、攻撃は一点からしか起らないが、杖は全部がツカでも刃でもあるし槍でもあり、剣のつもりで一点を見ていると、上下左右の思わざるところから攻撃が起り、まるで百本の杖に攻められているような幻惑をうける。
 その上、両手の幅と頭上へ手をのばした高さがあれば使えるから三畳の室内で自由に術をふるうことができる。棒を刀のように振り廻すものとでも考えたら大マチガイで、まるで棒が手中に吸いこまれて、前後左右上下の諸方から無際限に目にもとまらぬ早さでとびだし襲いかかってくるものと思い知っておかねばならぬ。
 男女ともに護身用としてこれほど得がたい術はないように思ったが、特に家に留守をまもる婦人にはこの上もない術であろう
 もっとも人が護身用の術を必要とするような時代は慶賀すべきではないけれども、血なまぐさい乱世の気配は遠ざかるどころか益々近づくおもむきもあって、かかるときに、大男の暴漢ヌッと室内に上りこむや、ギャッと叫び、とたんにヒバラを押えてひッくり返っている。小娘が四尺二寸の杖をたずさえてニコヤカに現れるなぞという図は愛嬌もあり実効もあって面白い。
 亭主の威力地におち、女房が武力をふるうに至ると、乱世もおさまるかも知れない

 

坂口安吾『明日は天気になれ』より)

 

坂口安吾のプロフィール

坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。

坂口安吾 - Wikipedia

 

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