文豪語録

明治から昭和くらいまでの文豪たちの名言や名文、格言、迷言、珍言を載せていきます。

私はバカの仕放題をしてきたようである - 坂口安吾『明日は天気になれ』

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バカの仕放題

 昨夕フラリと浅草へ遊びに行った。ちょうど一年目だ。自然、淀橋太郎とか森川信というような浅草生えぬきの旧友と飲み屋で顔が合う。話は自然に余人の旧悪に及ばず、主として拙者の旧悪のみが酒の肴となるのは不徳の致すところであろう。
 なるほど人にいわれてみると、私はバカの仕放題をしてきたようであるその一端を御披露に及び、諸賢の興を添え、あるいは興をさますのも、バカの務めの一ツかも知れない。それは九州に多少の縁がある話でもある。
 それは戦局不利に傾きつつある大晦日のことであったが、私は徹宵泥酔に及んで某女優に数時間にわたって結婚の儀を申し入れて叱られるような賑やかな出来事があって、そのアゲクに塚本のデブチャンという非常に義侠心に富み、働けど働けど女房に軽蔑され、また常に失恋しつつある人物にいたく同情をかい、彼の無尽蔵の悪酒をジャンジャン提供されて元日を迎えたのである。
 元日も朝から晩まで飲んだアゲク、この義侠心に富むデブチャンとつれだち、かの大根女優が主役をつとめている国際劇場へ、大いに彼女の美徳をたたえ、声援を送りに、一升ビンをぶらさげ、デブチャンの自転車に相乗りしてでかけたのである。このデブチャンは泥酔すると人や大荷物をつみあげて自転車を運転してみせる悪癖があり、また奇妙に運転がタシカであった。
 淀橋太郎の説によると、私は上衣をぬぎ、ワイシャツ姿で舞台後方に現れ、
「ウマイ、ウマイ」
 といって、三十分間ほど休みなく拍手を送って大根女優を声援し、益々彼女の軽蔑を買い、劇場をなやませて疲れを見せなかったそうであるが、どういうワケだか私にも分らないが、ダンシングチームの楽屋を訪れ、
「諸嬢の芸は未熟である」
 と訓辞をたれ、次にはるか舞台天井の鉄筋の上へあがってしまった。
 そこで私は気がついて、さてはここで落命致すかと泥酔しながらも心細い思いをしたが、妙に楽々と元へもどることができた。
 そのときは無事であったが、すぐそのあとで燈火管制の道を歩いて、防空壕へ落ちてケガをし、一チョウラの洋服のズボンの膝を半分の余もさいてしまった。
 こうして仁侠に富むデブチャンにだけは益々見放されることがなく、非常に彼を憎みまた軽蔑している女房のもとへ悪酒を盗みに忍ぶようなことをして三が日をともに祝った。
 ところがこのデブチャンは天下に稀れな働き者で、二日の早朝にはもうちょっと座を立って浦安から小魚や貝を仕入れてきて、半分は愛人に与え、半分は夕方ちょっと座を立って商いをしてモウケてくる。
 しかも女房と愛人に徹底的に軽蔑されていたのである。
 こうして新年の三日間デブチャンの悪酒のフルマイをうけて半死半生となった私は、たしか四日朝、九州の炭坑へ石炭増産週間の一役をかって、膝のさけたズボンをはいて関門トンネルをくぐった。

 

坂口安吾『明日は天気になれ』より)

 

坂口安吾のプロフィール

坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。

坂口安吾 - Wikipedia

淀橋太郎のプロフィール

淀橋 太郎(よどばし たろう、1907年(明治40年)5月7日 - 1991年(平成3年)3月3日)は、浅草を中心として活動した軽演劇の脚本家・演出家。本名、臼井一男。弟の高崎三郎も軽演劇の脚本家。東京生まれ。小学校卒業。 戦後、森川信一座の座付き作家として活躍。浅草国際劇場や新宿コマ劇場で、歌謡ショーや喜劇の作・演出なども手掛けた。主な作品に戯曲『親バカ三代』、テレビ『笑えば天国』、著書に『ざこ寝の人生』など。

淀橋太郎 - Wikipedia

森川信のプロフィール

森川 信(もりかわ しん、本名;森川 義信、1912年2月14日 - 1972年3月26日)は、神奈川県横浜市南区出身の俳優及びコメディアン。元妻は水戸光子横浜市立商業学校卒業。『男はつらいよ』での初代おいちゃん(車竜造)役が当たり、広く知られることになる(テレビドラマ版から続投し、「バカだねぇ…」の名セリフで日本映画史に残る活躍を見せた)。おいちゃん役は3人の交代があったが、監督の山田洋次からは「寅さんとの絡みの中で『バカだねぇ…』と吐きながらコミカルに立ち回れたのは森川のみ」と語られている。

森川信 - Wikipedia

 

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