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文豪語録

明治から昭和くらいまでの文豪たちの名言や名文、格言、迷言、珍言を載せていきます。

雪上にハダカで演説もしなければならなかったし、ダイナマイトを爆発させなければならなかった - 坂口安吾『明日は天気になれ』

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炭坑の偉業

 私のような無名の三文文士が戦時中の石炭増産週間の一役をかうとはおよそ柄にない話であるが、大井広介が北九州の某炭坑にユカリの人物で、彼は石炭増産週間につき中央の文士を炭坑夫の慰問ゲキレイに派遣するよう頼まれたが、然るべき文士にはたのまず、お酒や食べ物に不自由している友人のノンダクレや食いしんぼうを選んだのである。
 そこで檀一雄、半田義之、南川潤に私というテアイがヨシクマ炭坑その他へ姿を現すこととなったのである。
 その日北九州は積雪十五センチ。
 ところが新年の三が日半死半生の悪酔いによってミソギをした私は、北九州の炭坑においては大そうリリしく立働き、文士も一かどのサムライであるというような声価を高めた。人は見かけによらないのである。
 檀君らは、小生を最年長の故によって、事々に代表者とあがめ、ために私は雪上にハダカで演説もしなければならなかったし、坑内千五百尺の底においてアッサク空気のドリルをつかい、またダイナマイトを爆発させなければならなかったところが私は戦争で気がたっていたせいか易々これらをなしとげ、まったく動じる色がなかったので、採鉱課長が公式の席において「坂口氏は当炭坑が坑夫として採用したい唯一の人材である」というような讃辞を呈し、私はまたそれに答えて
「落盤事故がなかったのは、小生のイカンと致すところである」というように述べておいた。……

 

坂口安吾『明日は天気になれ』より)

 

坂口安吾のプロフィール

坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。

坂口安吾 - Wikipedia

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