さきの戦争では一番タバコに困って往生した - 坂口安吾『明日は天気になれ』
戦備ととのわぬ話(1)
檀一雄が石神井というところにちょっとした小粋な家を買った。いかにも当たり前の中産階級の住宅であるが、さてよく調べてみるといろいろ風変わりなところがある。
私が泊っているうちに、夜ねていて非常に息がつまるので気がついたが、相当な住宅でありながら、欄間のようなもの一つもない。どの部屋もフスマを閉じると他の部屋からのぞかれるすき間がなくなるようにできている。その上、屋根裏に秘密の部屋ができていて、イントク物資を貯蔵するようにできているそうである。あるいはキチガイ的の人物の作品であろうと思った。
こういう特別仕掛けの住宅を見せつけられた上に、なんとなく妖雲ただよう天下の形勢というものを横目でにらんでいると、イヤでも何か買いだめて次の戦争に備えを立てないとオクレをとって取り返しのつかないことになりそうな心細い思いになるのだ。
ところが、私のように、平時に於て全然貯蓄の精神の欠けている人間というものは、戦争に備えても買いだめのできないように出来ておって、私が檀君のところに泊っている折、さきの戦争では一番タバコに困って往生したから、今度戦争があったらタバコだけは泰平楽してやろうというので、カンヅメのタバコを一日に一個買いだめることにした。
ところが全然ダメだ。一ヶ月後には買ったタバコがどこかへ姿を消して一つも残っていないし、また新しく買うことも忘れている。どうしても買いだめの出来ないタチの人間というものは仕方がないのであるから、別の工夫をしなければならないと考えた。……
(坂口安吾『明日は天気になれ』より)
「戦備ととのわぬ話(2)」の記事
坂口安吾のプロフィール
坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説や推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。
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