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文豪語録

明治から昭和くらいまでの文豪たちの名言や名文、格言、迷言、珍言を載せていきます。

戦後日本のアンマにも大移動が起ったのである - 坂口安吾『明日は天気になれ』

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日本のアンマ

 私はたいがい旅先でアンマをとるので、北は奥州から南は九州まで一応アンマにもんでもらったけれども、アンマ術ばかりは日本全国同じことで、特殊な地域にローカルでユニークな流派が存在するということはないようであった


 仙台から北の牡鹿半島のノドクビに石の巻という漁港がある。ここにまだ三十そこそこの女アンマがいて、自分勝手なモミ方をする。ツボを心得ているようないないような不確かな手際で、指圧ともアンマともつかなくて、それでも怪力のせいか気持がよい。
「今日は旅館の特別の頼みで来てやったが、本当は私はウチを出ることはない。毎日朝から病人がつめかけて押すな押すなの繁盛なのさ」
 と言っていたが、私の背中を散々探ったあげく、
「アンタの脊椎は右に軽く曲っとる。これが万病の元だから、これを真ッ直にするようにしなければいけない」
 モットモらしくそんなことを言った。そのとき文藝春秋社のN君がいっしょに居たが、私が寝たあと、彼に向って、
「アンタの同行者は脊椎の曲りを直さないと病気が治らない」
 と長々と一席ぶって戻ったそうである。その翌る晩もこのアンマをよんで訊いてみた。
「アンタのウチは代々この土地のアンマか」
「イエ、私は満州からの引揚者だ」
満州でアンマをやっとったのか」
「収容所でアンマを覚えたのさ」
 なるほどと私は思った。終戦後、引揚げの途中にアンマ――主として指圧を覚えたという半分神がかり的な術者が多いのである


 大磯にAさんという指圧がおって、あるとき、福田恆存三枝博音両氏の紹介状をもって私のところへモミにきた。
 この人がやっぱり引揚げの途中に指圧を覚えたといっていたが、目下宣伝中だから安くするといって、毎週ノコノコ出張して大そう安くもむので、その後きいてみると私の知人の中で彼にモマれている人の数は少からぬようであった。
 この人々は殆ど神がかりのところはなかったけれども、引揚げの途中で指圧を覚えて開業したと云う人には、小石川の旅館でも、熱海でも会っている。神がかりと云って悪ければ、本人が治病の能力を自ら真剣に思いこんでいることが特徴であった。


 私のように、定期的に肩がこって、どうにも一週に二、三度はもみほぐしてもらわないと眠れないような人間は、神がかりの指圧にかかってもキキメがない。
 指圧のツボと、ハリのツボは同じであるし、灸点のツボはややズレているけれども、ハリの名人なら灸とハリのツボの相違もよく心得ているもので、結局ハリや灸にも心得のあるアンマの名人にもんでもらうのが一番よいのである。しかしそのようなアンマの名人は温泉地と花柳地に片寄って集まってしまい、ほかの土地ではなかなかうまいアンマが見当らなくなってしまった。要するに戦後日本のアンマにも大移動が起ったのである

 

坂口安吾『明日は天気になれ』より)

 

坂口安吾のプロフィール

坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。

坂口安吾 - Wikipedia

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