文豪語録

明治から昭和くらいまでの文豪たちの名言や名文、格言、迷言、珍言を載せていきます。

アフリカのミヤゲ物は買わない方がよいのである - 坂口安吾『明日は天気になれ』

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モロッコミヤゲ物

 皆さんが世界漫遊にでかけて恐らく日本人が誰も行ったことのないようなモロッコとか、さてはコンゴーのジャングルの土人から、コシマキのようなものをミヤゲに買う。天下の珍品を買ったと打ち喜んで日本へもどると、日本の女の子がそれと全く同じ物をネッカチーフやスカートに用いているので、目をまわして、しばし気絶してしまうことになる。アフリカのミヤゲ物は買わない方がよいのである
 桐生の織物組合長S君は私のゴルフ仲間で飲み仲間でもあり、また彼は素人考古学者、江戸文学素人大家等々、甚だ賑やかな人物である。彼は戦争前も戦争後も一貫して外貨カクトクの貿易用織物以外は絶対に作らぬという意地を通している。貿易が杜絶えて大貧乏におちいっても国内物を作って一時をしのぐというミジメなアガキをしない。歯をくいしばって貧乏の意地を通すのである。
 「意地じゃアねえよ。奴の機械はタケが長くて国内物に合わないからだよ」
 と商売仇は陰で悪く云うけれども、とにかくこの人物が一質して得体の知れない製品に打ちこんできた情熱というものは、ドンキホーテの生涯に通じる雄渾な悲哀があってアダオロソカにはできないものがあるようだ。
 あるときイエメンの宗教大臣から直々の註文がきた。註文主から考えてもイエメンの宗教用の織物に相違ないが、その中に二種類だけ非常にデザインの秀抜なものがあった。S君はシメタと思った。
 なにしろ勝手知らぬ異境の人を相手の取引きのことで、一番閉口するのはデザインだ。どういうものが愛されるか、という段になると、フランス人だのイギリス人相手なら目安がつくけれども、イエメンだのモロッコだのコンゴーのジャングルときてはだいたい見本が一ツも手にはいらない。そこへイエメンの宗教大臣から秀抜なデザインの註文があったから、さっそくこれを盗用することにして、註文の何倍も製造して、各貿易商やアフリカの取引先に見本を配って、今か今かと註文を待った。いつまで経っても註文がこない。
 そのうちイエメンの人に会ったから、盗用した二種類の織物を示して、
「これ、どうしてよそから註文が来ないでしょうね。すばらしい花模様だが」
「それ、花じゃないよ」
「これが花弁でしょうが」
「イイエ、イエメンの王様の誕生日のお祝い、とかいてあるそれは文字だよ。誕生日の記念品だ。署名入りだから、ほかにだれも買わないのは当たり前だ
「じゃア来年の誕生日、また……」
「年号もはいっているよ」
 S君、他の一ツをとりだして「こッちは字がないんですよ。こッちをもっと買って下さいな」
「それは今後十年間はタップリ間に合っとる。そう余計作っておく品物ではない」
「何に使うものですか」
棺桶の上にかけて葬るものだ

 

坂口安吾『明日は天気になれ』より)

 

坂口安吾のプロフィール

坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。

坂口安吾 - Wikipedia

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