2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧
楽天国の風俗 ……新国軍の誕生だの徴兵是非などが新聞雑誌に論議されてワイワイ世論をまき起しているけれども、銃後に原バクがチャンと落ッこッてる今日の戦争において、兵隊と銃後に変りはない。むしろ日本のようにせまい国土においては、もうどこにいても水…
芥川賞一風景(2) ……文士というものは、筆の上で偽わることのできないのが持って生まれた性根なのだから、各選者の選後評というものを読めば、選考事情はそれで一目瞭然なのである。 しかるにそれを読んでいながら、なお選考委員会の内容を具体的に報告し…
芥川賞一風景(1) 今期の芥川賞選考委員会に、二つの放送局から録音の申込みがあったそうだ。芥川賞の審査内容を具体的に報告しろというような文芸批評家の意見が諸々にあがっていた折であるから、これも世論の一とみて一度録音してみるのも面白いかも知れ…
炭坑の偉業 私のような無名の三文文士が戦時中の石炭増産週間の一役をかうとはおよそ柄にない話であるが、大井広介が北九州の某炭坑にユカリの人物で、彼は石炭増産週間につき中央の文士を炭坑夫の慰問ゲキレイに派遣するよう頼まれたが、然るべき文士にはた…
バカの仕放題 昨夕フラリと浅草へ遊びに行った。ちょうど一年目だ。自然、淀橋太郎とか森川信というような浅草生えぬきの旧友と飲み屋で顔が合う。話は自然に余人の旧悪に及ばず、主として拙者の旧悪のみが酒の肴となるのは不徳の致すところであろう。 なる…
エライ狂人の話(4) ……徳川家康は温厚な古狸のように考えられているが、彼の側近の記録によると、自分に不利なことが起ると、たちまち顔色が蒼ざめ、ボリボリ爪をかむ癖があったという。そして、さてははかられたか、もうダメか、なぞと独り言をつぶやき、…
エライ狂人の話(3) 信長がひところ切支丹(キリシタン)の最大の保護者であったことは人に知られているが、晩年に於て切支丹の敵となり、外国宣教師の呪いをうけていることは案外知られていない。 なにぶん信長の伝記作者の目から見ると、切支丹の問題は…
エライ狂人の話(2) 日本の独裁者で誰がどのような狂気を行っているかというと、まず豊臣秀吉の朝鮮征伐をあげることができる。 秀吉は愛児鶴松を失ったときに発狂状態になった。常態を逸してフラフラと有馬温泉へ保養に行き、鬱々たる十数日の物思いのア…
エライ狂人の話(1) 常人と狂人の差は程度の問題だといわれているが、職業上個人の思考や行為の振幅が常態以上に大きいことを必要とする立場の人たちは、職業上の立場と個人の立場が混線して、個人の狂気が判然しない場合などがある。 たとえばヒットラー…
真庭念流 ……真庭念流の道場には豪傑然とした、また武芸者然とした人が一人もいない。二十歳から八十いくつまでの高弟全部が集まっていたが、七十をすぎている人も数名はおる。いずれもただの里の人々である。 今まで握っていたクワを捨て、手足と顔を洗って…
神伝夢想流 東京に今なおクサリ鎌の術を伝える人がいるそうだから型を見せていただこうと、一昨年訪れたことがある。ところが主人は戦災でクサリ鎌を失った由で、「私はクサリ鎌をやるにはやりますが、元来は杖(じょう)を学んだものです」「杖と仰有(おっ…
豪勢な貧乏 私は長らく昔なら語り草になるような貧乏ぐらしをやってきた。しかしそれも「昔なら」で今では全く珍しくない。戦争中から戦後にかけては、多くの人々が空襲で家財を失い、食糧の欠配、よろこんで犬猫をくらい、豚のエサや雑草をくろう有様で、天…
コンニャク論 先日友人のところへ群馬県下仁田というところから女中がきた。そのとき女中が就職条件として、「どうかコンニャクだけは食べさせないで下さい」 とたのんだそうである。 下仁田は日本一のコンニャクの名産地だそうで、コンニャクは下仁田と相場…
日本犬の話 私は一昨年秋田犬を訪ねて秋田へいった。秋田市には秋田犬が見当らず、青森県境にちかい山間の大館市で、秋田犬にお目にかかった。 この大館市が秋田犬の本場であるが、そこに秋田犬保存会長の平泉さんという犬好きの人がいて、秋田犬の内幕を語…
年賀状 私の住む町の一人の郵便集配人が年賀状は人々が待っているものだからと高熱をおして配達にでて倒れた。愛すべき実在のサンタクロース氏である。 年賀状はムダだ、虚礼廃止だなどと昔から云われていることであるが、人生にムダや遊びが許されなかった…
アンゴウのドブ煮 冬になると東京の居酒屋では「アンコウ鍋」が江戸前の肴として珍重されるが、だいたい居酒屋で食べさせる江戸前の肴は、湯どうふ、サシミ、スダコ等というものだから、その中ではたしかにアンコウ鍋は抜群だ。だから私もよく食った。私の名…
乱世の抜け穴 終戦後の食糧難のころ、私はこの相撲とりのおかげでうまい物が食えた。なぜなら彼は驚くべき特権階級だったからである。 戦争中に廃業したのだが、奴め終戦後も五年間ぐらいチョンマゲを落さなかった。このチョンマゲが大変な特権なのである。 …