文豪語録

明治から昭和くらいまでの文豪たちの名言や名文、格言、迷言、珍言を載せていきます。

私は若い時から引越しの性分があった。どこにも住みきれないのが引越し屋なのである - 坂口安吾『明日は天気になれ』

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引越し性分

 私は若い時から引越しの性分があった。小学校の先生をしたり、大学生になったりして小さな借家を一軒かりて、ノンキ坊の兄と婆やと三人ぐらしをしていた頃から、たいがい私の独断で、東京のあッちこッち引越して歩いた
 

 兄は三種類ぐらいの運動の選手であったから、お金がかかる。家計費をチョロマカスので、それを私の小遣いでうめるのが毎月の例であるから、てんで私に頭が上らない。私が勝手にだんだん田舎の奥へひッこむのに、不平もいわずについてきた。
 おしまいに練馬の奥へ土着した。毎日毎日大根ばっかり食わせやがるナと思ったが、当時は別にセンサクもしなかった。ところが、兄があんまり家計費をチョロマカスのでオカズが買えなくなり、百姓が腐った大根を畑のアゼへ捨てておくのを拾ってきて食わせていたのだそうだ
 後年この婆やが息をひきとる前に、遺言みたいに白状して死んだのである。この兄は長ずるにおよんで全然社の公金をチョロマカスことを知らないバカ正直の社長になって金で大苦労しているが、私の方は長ずるにしたがい悪事を覚えハシにも棒にもかからない放浪児になってしまった。


 北斎も引越し癖があって、百回にちかい引越しをやっている。女房、子供があっても、この性分はどうにもならない。北斎の引越しには美人の娘が車の後押ししてたそうだ。
 北斎の引越しは江戸の諸方に限られていたが、私のは、旅先で土着してしまうようなシキタリが十年もつづいている
 終戦後、女房などという思いもよらなかったものがぶらさがってついてくるようになっても、やっぱりこの性分は直りッこない。しかし、引越しの性分というものにも、だいたい周期というものがあって、中には夜逃げだとか、環境が気に入らないことからという不測の事故もあるかも知れんが、北斎のように百回ちかい引越しはひどすぎるようだ。だいたい半年に一度ぐらいの周期になるのであろう。
 私のは一年前後の周期が普通で、北斎以上に長生きしても、彼のレコードは破れない。その代り、汽車もトラックもあるから、日本中を自分の住居に選ぶことができる。
 むろん私がお金持なら、日本中至るところに別荘をたてて転々とうつり歩くことができるから、あの野郎引越しキチガイだ、なぞといわれずにすむのであるが、これも貧の致すところ、よんどころない。
 

 しかし、持って生れた祖国というものは、どうにもならぬ。外国を転々と引越して歩くわけにもいかぬ。さすがに画家には北斎以上の引越し先生がいて、巴里へ引越したりするけれども、巴里へ住みついてしまうというのは本当の引越し先生のやることではなかろう。どこにも住みきれないのが引越し屋なのである
 外国を転々と引越すわけにもいかないと思えば、私のような引越し屋にも、祖国というものの大切さが身にしみるのである

 

坂口安吾『明日は天気になれ』より)

 

坂口安吾のプロフィール

坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。

坂口安吾 - Wikipedia

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