文豪語録

明治から昭和くらいまでの文豪たちの名言や名文、格言、迷言、珍言を載せていきます。

私は長崎が好きだ。長崎の食べ物も好きである。そして、チャンポンが何より好きである - 坂口安吾『明日は天気になれ』

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長崎チャンポン

 私は長崎が好きだ。長崎の食べ物も好きである。そして、チャンポンが何より好きであるブタの角煮もうまいけれども、あれはそもそも沖縄のラフテとどっちが本家なのであろうか。全く同じ物である。


 長崎の角煮はシッポクという宴会料理で、家庭ではあまりやらないようだ。ラフテの方は沖縄の家庭料理だそうだから、ラフテの方が本家かも知れないと私は思っている。


 私は太平洋戦争のはじまる直前のころに、天草、島原などをめぐり歩いた。天草島原の乱を調べるためであった。有家だの口ノ津だの天草下田、大江などとあんまり東京の人の行かない土地のひなびた宿屋を泊り歩いたが、どこへ泊っても、味噌汁の中に至るまで魚が一パイ。朝食の膳からサシミ、焼魚、煮魚とイキのよい魚のでるわ、でるわ。


 東京ではもう物資欠乏の頃であったが、欠食児ももてあまさざるを得ない豊富さであった。欠食の都会人を憐んでもてなしてくれたのかも知れない。

 

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 しかし私は長崎以来チャンポンに親しみ、天草の本渡でチャンポン屋をさがしてバスに乗りおくれたこともあるし、三角の渡船場へ降りたとたんに「チャンポンあります」の紙キレを見つけて、そう腹も減っていないのにフラフラと坐りこんだこともある。昼メシにチャンポンを食うのがタノシミであった。どこで食っても、一応うまかった


 むかし、東京にも長崎チャンポンを食べさせる店があった。そのころの東京のは主としてモヤシを盛りあげていた。東京人の好みに合うように自然そうなったのかも知れない。
 私はそのチャンポンしか知らなかったから、はじめて長崎へ行ったときは、東京のチャンポンがうまいような気がしたが、食べるにしたがい、たちまちそうでなくなって、長崎式に限ると思うようになった。


 私はナマのキャベツは好きではないが、チャンポンの上に山の如くに盛りあげてくるナマがかったキャベツならうまいと思うから妙だ。それに、いかにもモリモリ食らうという感じで、精気ハツラツたる爽快味を感じるのである。


 私が長崎へ旅行したときは、いつも酒ばかり飲んでいて食慾が少なかったから、チャンポンの大量なのをもてあましたが、ちかごろは酒量が少なくなったところへ、ゴルフに凝ったせいか食慾がいくらか逞しくなったから、長崎チャンポンを二ツほど一時にペロリと平らげに行ってみたいなぞとふと思うことがある。

 

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 私は元来メン類が好物であるが、日本の物は淡泊すぎ、支那のはしつこく、チャンポンがちょうどよい
 けれども、チャンポンをなつかしむ思いのうちには、味覚はさておいて、あの巨大な量と、それをペロリペロリと平らげてゆく食慾の爽快さ、巨大な量を軽くあしらうように平らげてしまう落付き払った食慾の快味などをなつかしむことも強いのだ。ザルソバやラーメンには、そういう快感は思い描くことができない。
 豊富な量と旺盛な食慾。それは私が少年期すぎて失ってしまったものでもある。

 

坂口安吾『明日は天気になれ』より)

 

坂口安吾のプロフィール

坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。

坂口安吾 - Wikipedia

 

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