文豪語録

明治から昭和くらいまでの文豪たちの名言や名文、格言、迷言、珍言を載せていきます。

私は戦争中日映というニューズと文化映画、宣伝映画などを作っている会社につとめていた - 坂口安吾『明日は天気になれ』

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文化の序列(2)

 私は戦争中日映というニューズと文化映画、宣伝映画などを作っている会社につとめていた。ここは海外への映画宣伝工作の元締めだから海外の映画もここに集まる。しょっ中試写をやって関係者がそれをみていたが、私が見たのではマレー映画というのが実にはなはだしく退屈きわまるものではあるが、これくらい独得なものは二つとない。なんとも珍無類なものであった。マライ映画は普通二十五、六巻から三十巻ぐらいの長さで物語の筋は単純きわまる恋愛物語だけれども、飯を食ったり、顔を洗ったり、洗濯したり、日常の当たり前のことをするのに大部分のフィルムを使う
 アリババと四十人の盗賊の映画も三十巻ほどの長さで、まずアリババが目をさまし、顔を洗い、朝食をとりながら兄と口げんかするのに何巻もかかってしまう。
 マライ人がこういう映画をつくって、みずから楽しんでいるから日本映画をもっていって見せても、テンポが早すぎてわからないといっててんでうけなかった。そのかわり日本映画に食事の場面や顔を洗う場面、寝床などであくびをして目をさます場面などがあると、ああ、やってるやってると、わあわあと拍手喝采だそうである。
 もう一つ面白いのは、マライ映画はたいがい恋愛が悲恋に終って、めでたしめでたしのあべこべに終るばかりでなく、例外ないほど一方が自殺してしまう。ながいことかかってさんざん涙の袖をしぼらせてあえなく自殺するのである。ところが現地で多年の調査統計のようなものを調べてみると、マライ人にはほとんど自殺するということはない。つまりマライ人は絶対といっていいほど自殺することのない人間なのだそうだ
 そこは映画もよくできていて主人公が自殺する、すると暗転、寝室の場面が現われ主人公がふっと眼を覚ます、いまのは夢だった、めでたし、めでたしと本当の終りになるのである。
 映画による文化の序列をみせられるようで、変な悲しい気がしないでもなかった。

 

坂口安吾『明日は天気になれ』より)

 

「文化の序列(1)」の記事 

坂口安吾のプロフィール

坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。

坂口安吾 - Wikipedia

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