田舎の人は西洋の映画を見ると筋がわからない - 坂口安吾『明日は天気になれ』
文化の序列(1)
田舎の人は西洋の映画を見ると筋がわからないという。その理由は簡単なようだ。
たとえば一人の男が失業して街を歩いている、レストランのショーウィンドに求人のはり紙を見て扉を押して消える。つぎの場面にはもうコックとかボーイとかの姿で現われている。これがわからないのだ。
日本の映画の場合はレストランの扉を押して消えるとつぎに受付で支配人はいますかというやりとりから、さらに支配人に会って雇われる筋道がみんな現われてくる。こういう手続きを順々にふまないと田舎の人にはわからないのであるが、これは映画の本筋には無関係なことで、これまでくどい手順をふんで田舎のセンスに順応するというのは芸術としては非常に退歩だ。
イタリア映画にも、日本映画に似たような田舎くさい、のろまなセンスがあり、やたらにリリシズムに陶酔したがるところなどもよく似ている。同格のレベルといえよう。
フランスやアメリカには、こういう泥臭ささがさすがにない。全般的にレベルが相当違うようだ。……
(坂口安吾『明日は天気になれ』より)
「文化の序列(2)」の記事
坂口安吾のプロフィール
坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説や推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。
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